先日……というかここしばらく前に、フロントエンドエンジニアの最前線を走っているmizchiさんがこんなアツい記事を書かれていました:
正直なところ、私個人としては、
なんか凄い話をしているのは分かる、しかし何が凄いのかへの理解が追い付かない!
と言う感じで、正直話の速度について行けなかったので、内容についての理解は話半分追い付けたか……? という、なんとも頼りない理解度でした。
ただ上記の記事のブコメにおいて、それとはまったく異なった文脈で、私は上記の記事へ下記のように辛辣なコメントを残しました:
CLINEに全部賭けろ
- [Comment]
- [Development]
個人的にはピンと来ない部分もあるが、これが意味する所は「生成AIを使うカネがない」者は最初から排除されると言うこと / 「最初からカネを持つか否か」が技術評価の起点となり、カネがない者は見向きもされなくなる
2025/02/27 08:47
個人的にはピンと来ない部分もあるが、これが意味する所は「生成AIを使うカネがない」者は最初から排除されると言うこと / 「最初からカネを持つか否か」が技術評価の起点となり、カネがない者は見向きもされなくなる
そしてこれに関連して、2025年3月9日の朝にmixi2でボヤいていたのですが、この辺りの話、
特に『生成AIを扱えるか』をソフトウェアエンジニアの評価軸にしても本当に良いのか?
という話を今回は書きたいと思います。
追記:2025年3月11日
この記事で言及しているCline系ソフトウェアについて、コスト観が正確ではない、というご指摘を頂きました。 具体的にはFediverse上のスレッドで言及されています。 (rinsukiさんありがとうございました)
読み返してみると確かにAPIの利用と一般のサブスクの話がごっちゃになっている……。
生成AIにすべてを任せる開発ソフトウェアのコスト観については、一度手を動かしてからではないと話を書けないと判断したため、
今回、この記事の内容を書き換えることは控えたいと思います。
ただこれについては後日自身で検証したのち、別記事として記事を上げたいと考えていますので、その点についてはご了承ください。
追記2:同上
この記事に含まれる表現の内、現状への正確性を欠く記載などを訂正しました。
話の大筋は変わりませんが、公開当初から内容を一部変更しましたので、ご了承願います。
まず、これからの時代は「生成AIを開発に使って当然」という話は分かる
まずmizchiさんの記事でも述べられていた(という認識)ように、ポスト魂震時代において、 Clineの様な生成AIを使った、高速なソフトウェアエンジニアリングが当り前になる世界線はそのうち来ると思います。
これは時流としてもそうですし、特定の価値(サービスとか利便性のこと)を実現するため、リソースの最適化やユーザー体験を素早く向上させる、 という事がソフトウェアエンジニアリングそのものなのですから、生成AIを使ったサイクルの高速化・最適化は当然の帰結なワケです。
ゆえに今後ソフトウェアエンジニアに対して要求される技術の一つとして、生成AIの使いこなしを求められて来るでしょうし、 こう言った時、開発現場で生成AIを上手く利用できないと技術者として評価されない、という話もまだ理解できます。
ただ、個人的に引っ掛ってるのはこの先です。
ポスト魂震時代において、生成AIを使いこなす開発スタイルが当り前になれば、 生成AIを使いこなせるか否かがソフトウェアエンジニアの評価軸になることは疑う余地がありません。 なにしろ生成AIの利用ありきで現場が進んでいるのだから、それを扱えない人の評価が下がるのは当然のことです。
ただ私としては、この生成AIを使いこなせるかをソフトウェアエンジニアの評価軸として扱うことに関して、 正直なところ、あまり良い印象を持っていません。
何故かと言えば、
生成AIを使うためのお金が無い人をどうするつもりなの?
という事について、誰も答えられないだろう、と感じているからです。
生成AIを扱えるかを評価する≒生成AIを使うお金があるか値踏みする
まずそもそもプログラミングや生成AIを扱う技術力、というのは場数を踏んで常に手を動かし続けなければ身に付くものではありません。 それゆえ、今までのソフトウェアエンジニア評価軸には、手を動かし続けて(事業に対し)適切な結果を生み出せたか?と言うことが根底にあるはずでした。
ただしここへ生成AIを上手く扱えるか否かが評価軸に入ってくると、どうしても歪みというか、 生成AIを扱い続けられる相手の経済力への値踏みの意味合いが入ってきます。
確かにポスト魂震時代において、高性能なNPUが大衆向けPCに普及し切り、そのNPUを使うローカルLLMも繁栄するのであれば、 この生成AIを扱えるか評価する≒生成AIを使うお金があるか値踏みするという意味合いは生じません。 ローカルLLMをNPUでいつでも扱えるのであれば、初期投資だけで済みますからね。
とは言え、現状ではローカルLLMを扱うためにはNVIDIAの20万円を超えるGPUを買わないと話が進まないですし、 Clineなどを使うための生成AI APIもPay per useでのクレジットカード払いが基本となっています。
となると生成AIを扱い続けるという選択肢を取ろうとする限り、どうしてもそれなりの財力が必要となってきます。 そしてこの状況のままポスト魂震時代が到来し、Clineなどを使うことが当り前となってしまえば、 ソフトウェアエンジニアの評価軸に生成AIを使うお金があるかどうかの値踏みが加わることになります。
またもう一つの問題として、Pay per useが前提の生成AI AIサービスは学生が契約すること自体、困難を伴います。 これは例えば生成AIサービスの契約上の年齢制限も当然含まれますが、それ以上に問題なのは学生には支払い能力を問わず与信がないと言う点です。
学生と言ってもこれが例えば大学生、という立場であれば学生向けのクレジットカードを契約できれば問題ないですが、 高校生や中学生はそもそもクレジットカードを作れません。収入云々の前にお金を借りられませんからね。
となってくると高校生や中学生、あるいは小学生がClineなどを使ったソフトウェアエンジニアリングを学ぼうと思うと、 どうしても親の与信で生成AIサービスを契約してもらうことが必要になってきます。
ただ生成AIという「うさんくさい物」に対し、いくら子供のためとは言え、最終的な合計金額が不明瞭、 つまり使い過ぎて高額支払いとなるようなPay per useなサービスを契約してくれるか不明ですし、 そもそも親のリテラシーが子より高くないケースも一般的な話です。
とは言えこの辺りRate limitやDeposit式ならある程度はコントロールできますが……。
となると、初期投資さえクリアすればあとは実力を伸ばしてなんとかする、という世界観を含んでいた日本のソフトウェアエンジニアという職業は、 家庭環境として経済的に安定しており、かつ生成AIへの理解も示してくれている子女が入門できる世界、と言う側面を帯びることとなります。
そのため、こう言った事を加味した上で、野生の存在として20年近くWeb開発をしてきた身としては、
「生成AIを扱えるか」をソフトウェアエンジニアの評価軸にしても本当に良いのか?
と感じている訳です。
これは別に、生成AIを排除しろという話ではない
最後に注意点として言っておくと、これは生成AIを使うな!とか生成AIを排除しろ!という話ではありません。
私個人の考えとしては、生成AIは道具の一つだから使う使わないは自由だし、 プロとしてやっていくなら食わず嫌いは止めておけ、とも思っているぐらいです。
ただプロのソフトウェアエンジニアをやっていくという環境において、 高値の華を扱えることが前提となり、高値の華を持てない事が自身への低評価に繋がるという状況が来るのは、 流石に健全とは言い難いように感じています。
もっとも業界へ入るための機材が高い、と言うのは、私が知る限りだと音楽業界がそうですし、 最近は音楽関連でもサウンドプラグインのサブスクリプションサービスも増えて来ているので、 創作活動を行う上で財力が物を言う、という世界は既にあると言えばあります。
ただなんと言うかですね、「開かれた間口」を用意して優秀な人を取り込んで来た業界が、 より優れた人を採るために「閉された入口」に切り替えてしまうのは、どうにも納得がいかんのですよ。
私は20年以上前に、高校へ通えなくなったと同時にWebに触れた人間ですが、 この活動を今に至るまでずっと続けていて、しばらく前にアルバイトへと繋がった、という経験がありました。 まぁこのアルバイトは諸々の事情で終了とはなりましたが、少なくともこれはこれで意味のある経験だったと今でも考えています。
ただねぇ。これでClineやそれに類する技術の導入が前提となって、野生の存在として職を得るためには生成AIを扱えることも必要な能力の一つだ、 となってしまうと、傷病で資金のない者がソフトウェアエンジニアの業界へ入って行けなくなるんですよね。
少なくとも、私は20年近くプログラミングをやっていたからこそ一時的だったにしろ職へと繋がった、と考えている訳ですが、 これで最低限Clineを使えることが就職の条件です、とかなったら、それこそどこにも入る余地が無くなってしまいます。
何しろ私は手持ちの資金が少ないから生成AIを使える機会が少ない訳で、そこがボトルネックになってしまえば、 ブートストラップ問題が発生して延々とソフトウェアエンジニアへの道が閉される訳ですよ。
で、こう言った事を言っていると無料枠のあるサービスとか格安のサービスを使えばいいのでは?
と言う向きもあると思います。
が、無料枠や格安のサービスが無料だったり安いのにはある程度理由がある訳で、品質の観点から言っても、Claudeの3.7 Sonnetとかには敵わない訳です。
そしてそこも含めてソフトウェアエンジニアとしての評価が決まるのであれば、その職業は持てる者のための職業じゃん、となるのがオチです。
私個人としては、Clineなどを使った高速な開発サイクルを回す。そのことがソフトウェアエンジニアリングとなること自体に反対するつもりはありませんが、 そのClineを扱えるか、そのClineを扱うための資金があるか否か。
そう言ったソフトウェアエンジニアの評価軸に、そのエンジニアが経済的に安定して生成AIへお金を使えるかという軸を持ち込んで欲しくないよなぁ……、 と昨今の流れのなかで感じているのでした。
まあこの流れが止まるとは思ってないし、この評価軸がそうなる、と言う流れも止められるとは思ってませんけどね。いうて結局はビジネスですし。 成果を査定して給与を払うっていう行為自体、ある面では結局、お金で相手を値踏みする行為な訳ですから。