『経済成長』と『生産性で人間の価値を決め付けない』は(たぶん)両立する

読了まで:約3分


主に、

いう記事へのお返事です。

今の(日本の)社会は人間を奴隷的に評価している

まずそもそも、今の世の中で生産性の云々という議題の中で取り扱われる『生産性』という意味合いは、

その人間を 奴隷として扱った場合にどれだけ利益を得られるか

言うのと同じなんじゃないか、と私は感じているのですが、 確かにこの価値観に基くと 『経済成長』と『生産性で人間をはからない』と言う事柄は両立し得ません

言うのも、この価値観に基く『生産性』とは、

いかに奴隷を酷使して利益を絞り取るか

いう事に尽きる話になってしまい、当然、自分の様に精神疾患を持つ人間や、 あるいは重度の心身疾患を持つ人間は 奴隷としては役に立たない故に、

こんなヤツらに支援するな。さっさと殺処分しろ

いう、非人道的な主張に繋がるのだと私は考えています。

そして(恐らく)れいわ新選組や、それを支持する人達の、

生産性で人間をはからせない世のしよう

言うのは、

奴隷的価値に基づく生産性で人間をはからせない世のしよう

主張しているのだと、私は解釈しています。

経済成長と人々の尊厳

それで、先に上げた 労働力を奴隷とする価値観基づけば、

経済成長奴隷からどれだけ利益を絞り取れたか

言う解釈になり、それは 一部の使用者(奴隷の所有者)のみがどれだけ肥えたかいう指標としてしか解釈できません。

しかしながら、実際の現代の労働者は使用者の奴隷ではなくそれぞれが尊厳を持った存在です ので、 この 奴隷的評価は積極的に否定するの好ましくこの前提に立った上で最初の設問である、

経済成長は「生産性で人間をはからせない世の中」と両立するのか

言う事柄を考えると、これは、

人々の尊厳を保ったまま 経済成長を望む社会を維持できるのか

いう事柄に繋がると私は思っています。

社会(組織)の生産性は適材適所によって産まれる

また 人々の尊厳を保ったまま経済成長を行なういうのは、

如何にして 社会(組織)の効率を上げ生産性を上げるか

いう話になると思うのですが、これも奴隷的評価に基づくと、

人々へ如何に過酷な労働を強いて利益を絞り上げるか

いう話になってしまいまい、人間が使い潰されるだけの未来のない にならざるを得ません。

しかしながら、人間への奴隷的評価から脱却し 人々を使い潰さずに効率を上げる言う前提に立ち、

如何にして 社会(組織)の効率を上げ生産性を上げるか

いう命題を解くとすれば、私はこれについては、

如何にして 効率よく社会(組織)を稼動させられる役割配分をする

言い変えられると思っています。

つまり 人間の尊厳を保ったまま社会の効率を上げるいう事柄は、 いかにして 最小の努力で最大の効率を得られる様にするか言う話であり、 これを実現するためには 徹底した適材適所どこまで実現できるか、鍵になると思っています。

奴隷的評価軸を止めよう、というムーブメント

つまるところ、 今の日本の社会は人々を奴隷的に評価し、その価値観の上で人の価値を決める言う価値観が結構幅を効かせていて、この 人々への奴隷的評価を止めよう言うのが、 私は れいわ新選組ムーブメントの根底にある思っていて、この、

人々への奴隷的評価を止める

いう価値観に基づき、人々に適切な役割と権限、人員を割くいう 適材適所行えば、 別に 『経済成長』と『生産性で人間の価値を決め付けない』というのは排他的価値観ではなくなる思いますし、 逆に 奴隷的評価軸から脱却出来ないいう事であれば、 この価値観は排他的である言えるとかと思います。

また奴隷的評価軸を排し、適材適所という価値観に基づいても人への評価は存在しますが、それはあくまで、

その人をその場へ配置するのは適切かどうか

言う類いの評価であり、不適切な配置で互いに不幸にならないための最低限必要な評価である思うので、 それはそれで問題ないのではないかな、と私は考えています。

あと私個人としては、人間個人個人の『生産性』なんてモノは高が知れてる思っているし、 また個人の『生産性』というモノにしても、 その人の持っている能力や技能に応じた適切な役割を得られなければ、その人の生産性の向上は見込めない考えています。

そのため 今現在生産性が無い言われている方々についても、その現状を生み出しているのは、 結局のところ その方々が生産性を上げられるためのコストを社会全体が支払ってないいう事柄が原因であり、 その現状を差し置いて 生産性を上げるためのコストを当事者だけが支払い、おかつそれ以上の生産性も要求するいうのは、 ちょっと鬼畜なんじゃないの?思わないでもないです。

また、中には 生まれた時から重度の障害で動けない方々 や、あるいは 意思疎通すらも困難ないらっしゃりますが、 それらについては結局、 老化による認知症や傷病による後遺症などで同じ様になる のが 早いか遅いか違いだけであり、 そう言った方々を冷遇、あるいは排除する思想 は、健常者であっても 老齢の最後の時期に自分がその様に扱われるいうのを果して許容するのか、という問題意識は持った方が良いと思います。

以上

いうのが、最初に掲載した、

へのお返事となります。

まぁ思ったより長くなった感がありますが、とりあえず要約すると、

経済成長は「生産性で人間をはからせない世の中」と両立するのか

いうのは、

(人々への)奴隷的評価軸を取り下げれば両立するし、 そうでなければ両立しない

言う話なんじゃないか、と個人的には思います。はい。

アバターアイコン兼ロゴ

にゃるら(カラクリスタ)

『輝かしい青春』なんて失かった人。次に備えて待機中。

今は趣味でプログラミングをして生活しています。