カラクリスタ

「輝かしい青春」なんて失かった人のブログ

空想癖の有るアスペ持ちは、定型発達の人より『自分の文章を書く』能力では有利

じゃないか、数日前に思ったので、今日はその辺りについて雑に書いておく。


まあ、アスペルガー持ちって言ってもピンからキリで、他のアスペルガー持ちな方々が、僕みたく空想癖が有るのか無いのかは判らないのですが、僕の場合だと、小学生の低学年、それこそ、小学一年生ぐらいの時から、空想癖というか、頭の中で教科書で読んだ物語の内容を再現して、みたいな事は行なっていました。

それで、この空想癖、なんで存在するのかな、と考えてみると、これも僕から見た感想ですが、このアスペルガーの空想癖は、

他人とのコミュニケーションのシュミレーション

という面が有るんじゃないか、と思っていて、これは、

  1. アスペルガーな要因を持っていると、いわゆる『空気』が読めない
  2. そのため、『空気』に対応するために、予めパターンを予測する必要がある
  3. よって、その『空気』パターンの予行演習のために、『空想癖』が存在する

という感じだと僕は考えています。

そして話はここからで、この『空想癖』、実は『上手く使えば』割と凄いんじゃないか、と僕は思っていて、これは何故か、というと、この『空想癖』、実は

ブログの文章とか、小説や物語を自分一人で書く、という事には凄く向く

と、僕は感じています。

実際、僕が未だに行なっている『空想癖』を行なっている時の思考の感覚と、このブログのエントリを書いている時の思考の感覚は、ほぼ重なっている、というか、ぶっちゃけ、『空想癖』の応用で書いている感覚が有ります。

それで、僕の感覚に基づき意見を述べると、

  1. ブログ等と言った書き物は、自分の考えを書く限り読者を想定した一人相撲である
  2. そして、アスペルガー持ち『空想癖』も、予測のための予行練習の一人相撲である
  3. という事は、この二つ、相似というか、物事としては、基本と応用なのではないか

と僕は思っていて、つまるところ、これは、 定型発達の人々 より、 アスペルガー持ちで『空想癖』が有る人間 の方が、 『自分の文章を書く』と言う文脈 においては、普段から 空想によって 想定問答を行ないまくってる 分、 アスペルガー持ちの方 が、有利というか 能力としては伸び易いのではないか 、と思う訳です。

それはつまり、普段の日常生活で不利な面が有る『空想癖』を持っているアスペルガーな人々でも、

『読者』を想定し、それに基づき文章を書く

という能力に対しては、

定型発達のフツーの人より有利!!1

と、言えるのではないかなぁ、と僕は思います。


はい、と言う事で久しぶりのブログエントリでした。

ただし今回の内容、個人差が有るというか、最初の方にも書いた通り、アスペルガーでもピンからキリまで、コミュニケーションに難があるのもピンからキリまで、って感じなので、他の方々に 100% 当てはまるかどうか、という所については、実際にどうなのか、っていうのは良く判っていません。

また、アスペルガーじゃなくても空想癖の有る定型発達の人々でも、同じ事が言えるんじゃ……とここまで書いてようやく気がついたので、まあ本当に有利かどうか怪しい面が有りますが、まあそこはともかく。

フツーの定型発達の人よりも、『空想癖』の有るアスペルガーな人間の方が、『自分の文章を書く』と言う意味では、色々有利なのでは? という雑な意見が、今回の記事の言いたい事でした。

ま、雑に書くって言っておきながら、結構丁寧に言葉を選んで書いてるので、雑じゃねぇじゃん! と思ったりしましたが、そもそもの最初の書こうとした内容の意見が雑なのであった。

おしまい。