今日、心療内科でのリハビリを終えて帰路についていた時に、件の 一橋大学 で 性的指向 について『 アウティング 』された学生が転落死した事件について考えていて、
と疑問に思って、色々思考していたんですが、その時に、
とか、あるいは、
と言う結論に至ったので、今回はその辺りについて、考えをまとめる意味で、その辺りについての自分の考えを書き出してみたい、と思います。
1. 他人の機微情報は、別に『性的指向』だけではない
今日の電車の中での思索の中で、まず最初に僕が気付いたのはコレで、件の一橋大学の事案では、
性的指向に関する機微情報 (=今回だとゲイである事) が『アウティング』された結果、それを切っ掛けとして、不適切な対応が重なった結果、『アウティング』された側が転落死する事態に成ってしまった
と僕は認識しているんだけど、そもそも今回の件、恋愛沙汰のもつれ、とか、なんか『アウティング』した側に法的責任を問うのはどうなの? という意見も有るかと思うんだけど、そう言う事柄は関係なしに、
と皆気がついた方が良い、と僕は思う。
というのも、件の事案では『性的指向』についての『アウティング』が問題となっているけれど、これは別に『性的指向』ではなくても、例えば、
- (アウティングされる側の) 当事者の心身の疾患、障害などの病症情報
- 過去の補導履歴や、あるいは服役履歴などの犯罪履歴にまつわる情報
- 若しくは、養育歴や家庭環境などの、親族にまつわる情報
- 自身の信仰、あるいは宗派等の情報
- 就職先や、あるいは職業などの情報
等々の情報も、
になるのではないかな、と僕は考えています。
もっとも、先に例に上げたこれらの情報が、そもそも機微情報という扱いになり、また、それらの情報によって誰とも問わずに不利益が発生している時点で、『差別』を肯定しているのでは、って意見も有るとは思います。
ただ、現状の社会を見るに、まだまだ日本では多様性の全肯定、という所までは、流石にまだ日本社会は至っていないだろうし、また、『性的指向』に限らず、病症情報なんかも、現状、精神疾患とかだと結構偏見とか残ってる感じもあるので、そう言った意味では、
他者の機微情報は迂闊にしゃべるべきではない
というのが、当面の社会では、他人に対し、不用意に不利益を与え、場合によっては、それを喋った当人が法的責任を問われる、という事態になる事を避けるための心得とするしかないないのではないか、と僕は思います。
2. どの様な時に『[アウティング 』は 加害的行為 足り得るか]
で、今日、僕が 心療内科 での リハビリ の帰路の途中、もう一つ、
件の事件では『アウティング』は加害的な行為だ、と遺族側は考えているらしいけれども、本当にそれを一方的に断ずるのは『妥当』なのだろうか?
という事についても思索していて、これについて、僕としては、
『アウティング』が『加害的行為足り得る』には、『当事者間』に『信頼関係が無い』という場合に、そう判断されるのではないか
と言う結論に至りました。
と言うのも、件の一橋大学での転落死の場合だと、転落死した学生の方は、
相手側に裏切られた
と認識されていたのは確かで、それを根拠に遺族の方々が相手側の学生に対し、訴訟を起している訳ですが、もし仮に、
亡くなった学生の方と、その友人らに、『確かな信頼関係が有った』なら、 ここまでの事態には至っていなかったのではないか
と思うからです。
無論、事はもう起きてしまった後で、タラレバの話をしても仕方がないのはそうなんですが、『アウティング』が『加害的行為』とされるのは、『アウティング』された事によって、『アウティング』された側が、どのような不利益、あるいは不当な扱いをされ得るか判らず、その事によって心理的なストレスを感じ、場合によっては心的外傷が引き起されるが故に、
『アウティング』は『加害的行為』である
とされる訳です。
それはつまり、もし今回の事件の際に、当事者間に確かな信頼関係が有り、
の三者三様が、正しく、って言ったらヘンですけれども、まあ、『アウティング』されたとしても問題が起きない、あるいは起き辛い様に対応出来ていれば、正直、件の学生が転落死する事態にはならなかったのではないかな、と僕は思います。
3. 件の案件の相手側の学生に『責任』は有るか否か
そして、最後に考えていたのがコレ。
正直、僕は当事者でもないし、また、件の事件というか事案については、報道等を通してしか接していないので、なんとも言えない感じが有るんですが、少なくとも、
『法的責任』を問えるか否か
については
『(アウティングに至った)文脈』に依る
と思ってます。
例えば、これが相手側の学生が、
自分のなかで今回の転落死した学生の告白を消化し切れずに、信頼できる友人間に相談し、その結果として、友人間で件の学生の性的指向がバレる事態になった
という場合であれば、少なくとも、当事者間の信頼関係は崩れていたとしても、相手側はなんとか自分の中で受け止めようとしていた、という事にはなり得るとは思います。そしてその場合だとすると、法的責任は問えるかどうかは微妙かな、と僕としても思います。
ただこれは、
相手に誠意を持って対応していた
という前提が有っての話なので、件の事案では、真実、何がどこまでどうなのか、っていうのは、まあ当事者にしか判らない事であるし、また、件の転落死した学生側としては、相当に根に持っていたというか、かなり手酷い裏切りを受けた、という感情を持っていたと思うので、その点については、野外がどうのこうのと言える問題ではなく、当事者間がどうにかするしかない問題だ、と僕は思います。
以上
とりあえず、件の一橋大学の件を切っ掛けに考えてた事は以上です。はい。まー正直、僕みたいに野外が今回の事件で教訓に出来ることは、
他人の機微情報については、例え信頼できる友人間でも、うかつには喋るな
って事ぐらいなので、まあ、なんとも救い所が無い話だな、とか思います。
あと、僕も過去に、
あれ、今思えば完全に『アウティング』だよなー
って案件が何件が有ったのですが、アレ、『アウティング』される側からしてみれば、
なんでソレ今話されないかんのや!
って感じで、
マジで勘弁してくれよ……
って言う最悪の印象しか受けなかったので、ま、他人の機微情報は公の場では話さないに限るし、また、他人の機微情報に関わる相談事は、本当に信頼出来る人間にしか話さない、という事に限るのではないかな、と思います。
という事で、今日は以上です。はい。