もう 2016 年なんだしどんな高校でも生徒の多様性を認めても良いのではないか

と、言う事を、

という 京都新聞ネット記事 を見て思ったので書き下しておきます。


件の高等学校の対応は京都新聞の記事を見るかぎりでは、

生徒に寄り沿った対応が出来ておらず自分達の価値観のみを優先した

という印象が拭えないのですが、まあ、

実際の所は何がどうだったのか

は、判らないし、個人情報とかで判りようもないので、余計な詮索とかはしないでおこう、と思っていますが、この案件の報道を見て、僕は、

全日制高校 で有ったとしても、 通信制定時制 のように、 生徒の多様性を認めても良いのではないか?

と思いました。

というのも、僕は 10 年ぐらい前に、 全日制普通高校 ( 進学校 ) に通ってたら何故か精神的に不安定となり、その後、 定時制高校 に入学し直したり、あるいは、その 定時制高校 から 通信科 に転籍したり、とか行なって、最終的には病気を理由に 自主退学 した経験した事が有るので、その辺りの経験を思い返すと、 定時制高校 や、 通信制高校 では、別に普通に仕事している人とかも居たし、あと既婚者の方や、妊娠している方が居ても別におかしくはない、という感じではあったんだけど、これが全日制の高校となると、僕が在学していたのが進学校で有った影響も有るにしろ、そういった、

色々な事情を抱えた生徒が居る

という様な意味合いでの『多様性』って全然なかったなぁ、と今にしては思います。 まあ、確かに件の高等学校のような古い価値観に縛られた先生方しかいない様な高等学校では、

全日制高等校在学中に妊娠して云々

が受け入れ難い、というのは、まあそういう感情を抱くだろう、と予測が付くという意味合いでは分かるのですが、それももうそろそろ古いというか、定時とか通信とかなら許容されている範囲であれば、その様な、

全日制高等学校では、『一定の価値観』に『合致』する生徒のみを受け入れる

みたいな事はもうそろそろ止めにしないと、生徒も含め 社会全体息苦しくなる だけだし、また、僕は病気 (というか発達障害やらそれに起因する精神障害) が原因で学校に通えなくなったけれども、それ以外でも怪我とか、あるいは、家庭事情や経済状況などで学校に通えなくなった生徒が、結果として社会から爪弾きにされてしまう事に繋がってくるのではないか、と思います。

と言うか、なんでも枠に填めて、それから逸脱したら最後、みたいな寛容性というか余裕のない社会は、最終的にその辺りの余裕の無さが個人への皺寄せとなって、結果として個人個人の人としての尊厳を損う事につながってくる、と僕は思っているので、まあその辺り改善していかない事には、最終的には皆息が詰まって死ぬ、みたいな話になっちゃうのかなぁ、と思っています。


という事で、今日思った事は以上。

まあ、件の案件は高校での話だけれども、もちっと色々な場面で、色々な事情を抱えた人、困難を抱えた人も居て、それに寄り沿う社会になれたら、社会全体の息苦しさが減って、まあ生き易くはなるのになぁ、と僕は思います。

ま、この辺り、個人個人が他人を変えるのではなく、自分達自身が変わって行かないと、良くはならない、とは思いますけどね。

という事で終わります。はい。

nyarla が大体

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