発達障害の当事者の人生を無駄に消費しないためにも『発達障害』の概念は必要です

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主に、

を読んだ感想みたいなもんです。


まあ、僕自身、多分ごく軽度の発達障害というか、 [[ASD]] ( [[自閉症スペクトラム障害]] ) の傾向が有る、って診断されてる当事者なんで、言い切れる部分が有るんだけど、

『発達障害』 or『非定型発達』的な概念は、その _当事者_ が、 無駄に人生を消費しない為 にも、 必要である

と僕は思います。

で、それは何故かっていうと、これはまあ、

彼を知り己を知れば、百戦危うからず

とかそういう意味合いも有るのだけれども、ぶっちゃけ、

自分の認知機能 に、 どのような特性 が有り、また、 どのような事柄について困難を抱え得るか

っていうのが、判ってるのと判ってないのでは、

人生を生きて行く上で、その質に大きな差が出来てしまう

からです。

まあこれ、僕はもう時既に遅し、って感じであるんですが、ぶっちゃけ 自閉症スペクトラムの傾向の有る人間で有りながら 、 下手に 環境に適応する能力が有った りすると、 自閉症スペクトラムの特徴が見逃がされ 、最終的に人間関係が複雑になってくる過程のどこかで、環境への耐久力が崩壊し、最終的には 精神病んで[メンヘラ化 する] という場合が有ります。

そして僕はそれに見事に引っ掛かり、現に僕が高校生だった時、 特に原因が良く判らないけど非定型な統合失調症を発症 し、 成人後にも [[鬱病]] の発症とかも有って、 かれこれ 10 年以上は[メンヘラ状態 から脱せていません] 。

また、僕自身の自閉症スペクトラム (アスペルガー) な傾向が有るって判ったのは、たしか去年の今頃の 27 歳になる前後でしたし、発達障害が有る無しが判ってないのと判ってるのでは、周囲への理解や説明のし易さがかなり違ってきます。

それと、自分自身、

なんで自分は ○○ が出来ないんだろう……

と悩んだり、あるいは ○○ に対して苦手意識を持ったり、っていうのが思春期に有ったんですが、そりゃねぇ、それの原因が、

そもそも そういう機能がちゃんと脳の実装されてないとか、あるいは未実装 (!) だった

っていうのが判ってれば、もうちょっとマシだったんじゃねーかなー、と思わないでもないです。まあ、その辺り深く考えても仕方がないコトなので、普段はほぼソレについては考えてないですけれどもね。


ま、そういう、

自分は何故 ○○ が出来ないのか、あるいは苦手なのか

っていう事について、原因がハッキリしていれば、或る一定の対策とか立て易いですし、また、自分自身のコミュニケーションやそれ以外の行動の特徴について、それが判ってるのと判ってないのでは、行動の取り方や気をつけるべき点について、自分自身が気がつけ、また納得できる、っていう点では、

発達障害の当事者の人生を無駄に消費しないためにも『発達障害』の概念は必要

だと思います。

まあ、少なくとも、発達障害を持っている当事者にとっては、

自分が『発達障害』を持っている

という情報は、その当事者自身の人生の質を向上させるのに、必要不可欠な要素なので、その辺りについては、変にアホなコトを言ってないで、素直にその情報を当事者に判る形で伝えるべきだ、と思います。


というコトで以上。その『発達障害』の当事者からの意見というか感想でした。終わります。はい。

にゃるら(カラクリスタ)

『輝かしい青春』なんて失かった人。
次に備えて待機中。

今は趣味でプログラミングをして
生活しています。