個人的に思うところを書きます。
まあ、ぶっちゃけ僕はプロのデザイナーでもなんでもないので、今回書いている事が正確かどうかはわからないのですが、以前、書こうとか思っていて書いてなかった、
について、今日は書きたいと思います。
1. デザインにおける『無駄』と『遊び』の違いは、それが存在する事によって『気が散るかどうか』によって判別できるのではないか? lang:ja
と僕は思います。
まあ、『無駄』も『遊び』も似たような意味で使われる事が多いような印象はあるんですが、僕としては『無駄』と『遊び』には本質的には違いがあると思っていて、それは、
- 『無駄』は、それがあると気が散る
- 『遊び』は、それがあると物事に集中できる
という感じです。
まあ、この辺り、区別というか分別をつけるのは難しい領域の部分もある、と個人的には思っていますが、もうちょっと簡単に言えば、
という感じです。
で、デザインでもそれ以外でもそうなんですが、人間、集中したい事に対して、余分な要素があると気が散って集中できない、という面があると思いますし、また、かといって、『遊び』、言い換えるなら、『余裕』、『余白』的なモノがないと窮屈さを感じるのではないか、と僕は思います。
なので、デザインに限らずだとは僕は思っていますが、
とは、
の違いだと、僕は思います。
で、次。
2. 『無駄のないデザイン』とは、『気が散る要素を極力排したデザイン』の事であり、決して『遊び』がない窮屈なデザインではない
と僕は考えています。
というのも、このブログの今現在(2015 年 3 月 18 日)の見た目とかそうですが、
という所まで、掲載する要素を絞っていて、若干絞りすぎたというか、まあこれ以上は削れる所はないような、って所まで削ってあります。
ただ、必要な要素を絞り込み、かつ、無駄な要素を削るに削ったからといって、遊びがないかと言えばそうではなく、カクカクしているとは言え、それぞれの要素にはフラットデザイン的な要素の修飾は行っています。
で、前に Qiita でアホな記事書いた時に、 @ssig33 さんとかに突っ込まれた事ではあるんですが、人間はどうも、そっけないデザインとかを見ると、威圧感だったか拒絶感を感じるらしく、そういった『遊び』のないデザインを見てしまうと、まあ、印象よろしくない感じを受けるらしいです。まあその辺りの感性があまりなく、かつアスペルガーシンドロームの影響か、他人に対する共感性とかがかなり弱いので、その辺りの他者の感じ方はよくわかっていませんが。
ただ、そういった、
それを見た人が、それから感じ取る拒絶感
を和らげる意味でも、
という事は言えるかと思います。
で、最後。
3. アニメーションやエフェクトは、用法、用量を守って使うべき
だと、僕は感じてます。
まあ、これも上記二節で言ったこととそうは変わりないことだとは思いますが、特にモバイルデバイスなどにおいて、
というのは、そのモバイルデバイスの流儀に従っており、かつそれが利用者の気を散らせるものでなければ、積極的に使っていく必要がある、と僕は思っています。
というのも、たとえば iOS や Android だと、それぞれに対して、各 Platform 毎の流儀があるわけですが、それに従っていないアプリだとか、あるいは流儀には沿っているけれども、それが過剰な演出であったりすると、
なんかこのアプリ使いづらい
と、利用者が感じてしまう要因だと僕は思います。
まあ、
というのは、そのアプリなり Web サービスなりを潤滑に動かすための潤滑剤のようなモノで、それが過剰だとベッタベタになるし、かといってそれがないとうまくコトが動かないし、という類のモノだと個人的には考えているので、まあやっぱり、
アニメーションやエフェクトは、用法用量を守り、正しく使う
というコトが必要になるのかなーなんて思っています。
というコトで以上
です。はい。
まあ、僕もデザインに関してはプロではないし、今回書いているコトに関して言っても、あくまで僕はこう考えている、という類のコトでしかないので、これが妥当かどうかがイマイチはっきりしない部分もありますが、とりあえず僕自身が、
- デザインにおける『遊び』と『無駄』の違いとは何か?
と考えた結果は以上です。
まーでも、僕自身も デザインについて理解が深いか、っていうとちょっと微妙な所もあると思うので、その辺りは、まあ話半分に参考になればなーと思ってます。
ということで今回の記事は以上でした。終わります。まる