ろくでなし子さんがまた逮捕された件と、今回北原みのり氏が一緒に摘発された件についていくつか言っておくか
読了まで:約6分
まあ主に、
というまとめを読んでいて、なんとも言い難い、名状しがたき不快感を覚えたので、今日はその辺り書きます。
1. そもそも社会運動を行いたいのであれば、感情は持ち込むべきではない
まず、最初に上記リンク先を見ていて思ったのがこれ。
なんか、今回の逮捕劇では、いわゆる、
- アニメとかを規制せよ! と主張されている方
も一緒に逮捕されたらしく、その影響で、一部界隈が侃々諤々しているようですが、そもそも話、
- _ 自分と相容れない考えを持っている方_ が
- _ 自分の主義主張に反する取り扱われ方_ をしたのを見聞きして _ 溜飲を下げる_ のは
- _ 自分の主義主張に反する事じゃないの?_ _ バカなの?_ _ 死ぬの?_
と僕は思います。
つーか僕もこの手の運動にはあんましかかわる気もない、というか、今はそういう気力もないのが現実なんですが、そもそも、
- 昔の人権擁護法案反対とか
- 表現規制反対運動とか
- 反原発運動とか
- あるいは、ヘイトスピーチとか、ヘイトクライムに対する抗議とか
について、
- 例え、その運動の始まりが _ 感情_ だったとしても
- その社会運動そのものに _ 感情を混ぜ込んでしまう_ と
- その社会運動そのものが、 _ 感情的に先鋭化し、他者から理解を得られなくなってしまう_
っていうのがオチになってしまうと思うし、現実に僕が感じている、
- _ 表現規制反対派_ の _ 気持ち悪さ_ とか
- _ 反原発運動_ の _ 現実見てない感_ とか
- _ アンチヘイト_ の _ どっちもどっち_ 感とか
とかって、多分、
何かに反対する社会運動 に _ 感情を混ぜ込み_ 、 _ 先鋭化した結果_
だと僕は思うし、それが現実なんじゃないか、と現時点では考えています。
2. 社会運動に感情を持ち込むのは、その社会運動に対する害悪である
で、僕はぶっちゃけ、いわゆる 表現規制反対厨 的な考え方からは抜け出していて、むしろそういう面を見聞きすると不快感を覚えるのですが、まあそれはいいとしてですね、僕は、
- なんらかの社会運動に
- _ 感情_ に基づく行動をを持ち込むのは
- ご法度というか _ 害悪である_
と現時点では思ってて、これはなぜかって言うと、
- _ 感情に任せて特定のお題目を唱え続けるコト_ に対してに _ 気持ちよくなって_ しまい
- その目標を遂行するための _ 現実を見ず_ 、 _ 感情に赴くまま_ _ 先鋭化_ し
- 最終的には、良識ある方々から _ 理解も援助も受けられなってしまい_
- _ おまけに常識ある反対運動をしている人まで、巻き添えを喰う_
という事になるからです。
っていうか、昔なってましたからね。表現規制反対派とかそういうのが。
で、僕はなんだ、件の北原みのり氏の主義主張について、ほとんど知らないし、興味もないのでアレなんですが、例え、彼女が 自分たちにとって気に食わなかったとしても ですよ、彼女が逮捕された事を指さして、
それ見た事か!
と言って溜飲の下げるのは、はっきり言って、
- 当局による、 (性的な)表現規制 について、 追認しているのと同じ であり、 自己矛盾している
と僕は思います。
まあ確かに、彼女に対する逮捕劇に関して、感情的になる理由があるのは一応は理解できますが、だからと言って自己矛盾を放置するしたり、あるいはそれに対して
いや、「これはこれ」「あれはあれ」
という理論を持ち込むのであれば、
- それは ただ の ナントカ反対厨 でしかない
と僕は思います。
3. 最後に。僕の今現在の性的表現規制に対する考え方を書いておく
まあ今回の件で言いたい事は以上で終わりなんで、最後に僕の考え方というか、性的表現について主義主張を書いて終わりたいと思います。
まず、現時点(2014 年 12 月 06 日現在)の考え方としては、そもそも表現におけるわいせつ規制については、
いや、それおかしいんじゃね?
と思ってます。
いやね、今回の事件のきっかけである、ろくでなし子さんが最初に逮捕された時も書いたのですが、
- 性器をかたどった彫刻等を公開する事が
- わいせつ規制に引っかかる、というのであれば
- _ 全裸のダビデ像どうなるの?_
って話なんですよ。だって、あのダビデ像、モロ出しじゃないですか。
で、昔の人が作ったリアルなモロ出しが公開 OK で、現代の人が作ったマル出しが NG って、それ、法の下の平等に反するっしょ? なんで、現代人がモロ出し彫刻とか作ったら捕まるんだよ。アホなの? 恣意的運用万歳なの? と 僕は 思うんですよね。
で、漫画とかアニメとかエロゲとかも、ワリと性的表現があーだこーだといちゃもん付けられますが、それって小説はどうなの? とか、あるいは性的行為を暗喩している映画とかどうなるの? とか、そういう風に思ってるし、ぶっちゃけ、
表現 としての _ わいせつ性_
に対しては、規制するのがおかしいというか、そもそも 僕は 、規制とかする必要がそもそもないのでは? と思ってます。
で、それはなぜかって言うと、性的云々というより、性行為ってヒトが地球上の生命体である限り、種の繁栄のための行為として自然なあり方ですし、むしろ 性行為 に対して 無条件に否定する というのは、お前それ 地球上の生命体としての仕様を否定してどうすんの? と思うからです。
無論、 性風俗が乱れて云々 って話も有るとは思うんですが、 性風俗が乱れる と言うのならば、 性風俗が乱れる前提での社会システムを構築する と言う方が良いのではないか、と僕は思うし、そもそも、 性風俗が乱れる原因 っていうのは、
中途半端 な _ 性的知識_
が、原因だと思っているので、その辺りに関しては、
正しい性的知識を身に付けるための性教育 が _ 必要_
だと思ってます。
ただ、一つだけ言っておくと、僕は上記の性的云々に対して上記の様な考え方をしていますが、だからと言って性的表現に対するゾーニングが不要だとか、あるいは強制わいせつ罪とかそういうのが不要だとは思っていません。
と言うのも、 強制わいせつ とかの性犯罪に対しては、それは 被害者の方の自己決定の尊厳を損なう行為 だと考えてますし、また、コトの区別がつかない年齢の子供たちが、 中途半端な性的知識を与えかねない情報へのアクセス が 容易である 、というのには、僕としては同意しかねる、というところです。
ただ、 情報へのアクセス制限 については、それそのものが 『 自由、権利に対する規制 』で有るが故に、ある一定の年齢に達したら、あるいは、その子その子に必要に応じたアクセス規制の解除を行わなければ、それは 子供たちのため という名を借りた、 子供たちに対する知る権利の侵害 でしかない、とは思ってます。
という事で以上です。はい
えー現時点でここまで書くのに一時間経ってます。はい。
で、まあ今回言いたかった事は以上なんですが、一応今回の主張をまとめておくと、
- 何かに対する社会運動に、感情を混ぜ込むのはご法度というか有害である
- 性的な何かに対する無条件の否定は、 _ 生命としてのヒトとしてあり方の否定である_
- ただし、僕としては性犯罪の取り締まりや、性的情報へアクセス規制のすべてが、 _ 不当である_ とは _ 考えていない_
という感じですかね。はい。
ま、とりあずね、北原みのり氏に対して、無理して擁護する必要はないかとは思いますが、だからと言って、 性表現の自由を訴えているヒト が、 彼女の言論を理由 に 当局の理不尽な表現規制 を見過ごすのはいかがなモノかな、と僕は思います。
ま、とりあえず今日、
について、思った事というか、書きたくなったコトについては以上で全部書き終わったので、今日の記事については以上で終わりたいと思います。
ぶっちゃけ結構長い記事とは成りましたが、読んでくださりありがとうございました。
以上で終わります。お疲れさまでした。まる
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