というのを前から書きたいと思っていたので書く。
そもそも、生活保護費や障碍者年金で遊び呆けている人がいるとするならば、その人に必要なのは、金銭管理の援助と教育ではないか?
と思うんですよね。
まず、僕の様な精神障害者だと、精神状態の安定度や状態によって、欲しいモノを欲しいだけ買い込んだり、あるいは、躁鬱や躁病なんかだと、躁状態で本当にデタラメな浪費をして破産したり、というコトが起きてしまいます。
例えば僕はようやく最近になって落ち着いたんですけど、以前は、
- 中途半端に意欲があり、中途半端に体調が悪くて自制が効かない
という状態が長く続き、見るも無惨な、というか本当に本屋さんの一角を作れそうな数の未読の山とかを築き上げてしまいました。
また、僕の購読している精神科医の人のブログに乗ってる事例だと、躁鬱病や躁病等の躁状態で、普通では考えられ無いほどの浪費を行ったあげく自己破産した、ケースもあるらしいです。
で、また健常者の方でも、過度の浪費を行ってしまったり、あるいは金銭感覚が無いとしか言い様の無い消費を行ってしまう、っていうのは、要は、その人は真っ当な金銭管理を行うすべを学ぶ機会がなかったか、あるいは身に付くまで金銭教育が行われてこなかった、という結果だと思うんです。
で、病気とかで、過度の浪費を行う、という場合とか、あるいは金銭感覚が養われなかったが故に浪費に走る、みたいなのに対しては、生活保護費や障碍者年金を取り上げろ! みたいなコトを言うのではなくて、そういった金銭に関わる管理を補助したり、あるいは金銭管理の指導を行うような、そういった支援が必要だと僕は思うのです。
で、そういった支援の一つとして、
- 成人後見人制度
というのもあるので、もし金銭管理が出来ないが故に生活保護を受けざるを得なくなった、という場合には、こういう制度を半強制的に利用されるのも、一種の手かな、と僕は思います。まあ年金や保護費を取り上げろ! と感情的に叫ぶよりかはマシかな、と。
次に、障碍者年金や生活保護を受けざるを得ない状況、というのが、皆分かっていないのではないか、という疑問がある
ぶっちゃけ僕は心療内科のデイケアに通ってるワケですが、僕の顔見知りの人でも、実は生活保護を受けていて……なんて人はザラにいます。
つかね、僕みたいに、未成年の頃に精神病を発症して、って言う人は、病状によっては働くのってそうとう困難なんですよ。っていうか今の僕なんて、大人の幼稚園と一部で揶揄されるような、デイケアにすら通えてないんですよ。その状態で働けって言われても、そりゃ無理です! としか言い様がありません。
また、僕は幸い両親ともに健在で、両親の収入もそれなりにあり、かつ僕自身も障碍者年金がもらえてるので、金銭面で生活に困ることはないんですが、例えば片親の家庭で、その片親の親御さんが倒れて、その親御さんの介護やら介助やらで自分も病んで、ってなった場合、金銭的に自立しろ、って言われても、無理ですって話です。それこそそこで無理したら一家心中とかそういう話になっちゃう。特に鬱病とかだと。
また、そういった病気関連の話じゃなくても、例えば一家の大黒柱が事故かなにかで大怪我して働けなくなって、家族の介助が必要になった、とか、あるいは、仕事がどうしても見つからなくて、頼れる身内もいない、貯金もそこを尽きた、とかだと、そりゃね、生活保護を受けないと生活が立ち行かないワケですよ。
で、生活保護を受けてる人に対して、働かずに金をもらうなんてけしからんとか、あるいはねたむ人がいると思うんですけど、それって究極的な話、
働かざるは飢えて死ね
ってコトなんですよね。で、そういうことを言ってる人って、自分がそういう立場になった時、同じ言葉を自分に対して向けられるのかな、と僕は思います。
最後に、生活保護や障碍者年金はセーフティーネットであるコトを忘れないで欲しい
と僕は思います。
というかまあ現状の金銭に関わるセーフティーネットはコレしかないので、もしこれが無くなると、僕みたいに病気や障害で働けない人は、冗談ではなく、本当に飢え苦しんで死ぬか、あるいは、犯罪を犯して食いつなぐしか、って言う感じの二択になってしまうので、そういうセーフティーネットに乗っ掛かってる人がけしからん行動をとってる、という理由で、セーフティーネットそのものを破壊しろ! なんて主張はしないでほしいと僕は思います。
また僕はこういったセーフティーネットの不平を無くすために、
を導入した方がいいんじゃないの? とか思ってますが、まあその辺りは賛否両論あるので、それはまたの機会にもで書きます。多分。
またもう一つ忘れてほしくないのは、
と言ったセーフティーネットは、
- これを読んでいる あなた
にも開かれているモノなので、本当にもう食えなくて死ぬしか、ってなる前に、そういったセーフティーネットに頼ることを考える、というもの、一つの手段としてあるんだよ、と言っておきたいです。
というコトで本日の記事は終わり。なんかまとまりが無い気がする。