ヒトの命の貴賤を生産性云々で決めると後で鏖殺される

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最近、ヒトの命を貴賤を生産性の有無で決めたがる 可視化されて 増えているように思えている のですが、

ヒトの命の貴賤 生産性の有無で決める

いう事を良しとしてしまうと、後の時代に 人間以上に生産性の高い知性体(例えば AI とか)が出現した

人類は生産性が低いので生かしておく価値はない

って言われて皆殺しにされるか、あるいは愛玩動物として一部が尊厳もへったくれも無い状態で飼われるだけか、いう感じになると思われるので、そういう考え方は止めた方が良い思いますね。

あと 現在の生産性命の貴賤を問うてしまうと、 自分の生活の面倒を自分で見れない状態になる しかない 赤子や幼子も殺せって話になる んで、 そういう視点が抜けているのはちょっとどうなのかなぁ、と思うのでした。

まぁ個人的には 自覚的にそういう行動も許容していて自身の生産性が失くなった時に殺される覚悟がある なら、 それは立派な思想ただし万人に受けいれられる訳ではない)としてはアリなんじゃないかとは思ってます。 もっとも自分としては それに他人を巻き込んでは欲しくない ですが。

とは言え大抵のヒトはそこまで考えおらず、そういう阿呆な事を言っている人間は 自分が安全圏からこぼれ落ちる可能性は無いと思い込んでいるだけ だと思うんで、 そういう意味では滑稽だな、と思いますけどね。

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にゃるら(カラクリスタ)

『輝かしい青春』なんて失かった人。次に備えて待機中。

今は趣味でプログラミングをして生活しています。